2020年07月14日

言葉の持つ毒について

毒舌という言葉があるように、“人が使う言葉は、時に蠍が持つ10倍以上の威力の毒になる”というのを何かの記事で読んだ事があるのですが、最近、ネット上の誹謗中傷などで人が死んでしまったりしているのを見ると、やはりそうなんやろうなと思わざるを得ません。

となると人間は誰しもが猛毒、つまり凶器を持っているということになります。この凶器を使うか使わないか、どう付き合っていくのかで人の真価が問われるような気がします。

愚痴や批判、誹謗中傷など、誰しもが自分にかけられて良い気分にはならない言葉というのが毒で、称賛や感謝、許可の言葉など、自分がかけられて気分が良くなる言葉というのは、一種の解毒剤のような立ち位置だと私は認識しています。

悪い言葉を吐くという事は、周りに毒を撒き散らしているのと同じ事。コロナウイルスに陽性になった腹いせに“俺はコロナだ”と店員さんに向かってわざと唾を吐きかけたりする迷惑千万な輩となんら変わりはないのではないかと思います。

“はじめに言葉ありき”
聖書でも有名な文言で、いろんな解釈がありますが、私は“言葉によって自分の世界が形作られる”という意味も含まれているのではないかと思います。

言葉は波動です。波動は同じ波長の物を引き寄せます。良い言葉を吐いていれば良い波動が生まれ、良い出来事が寄ってくる。悪い言葉を吐いていれば悪い波動が生まれ、悪い出来事を引き寄せる。
状況を良くしたければ、まず無理矢理にでも良い言葉を使うようにする事。

これを知ってからは、極力悪い言葉は使わないようにしていますし、そうする事で実際どんどん周りの状況が良くなるという経験もしています。
でも私もまだまだ出来た人間ではないので、たまに愚痴の一つや二つ吐きたくなる時、吐いてしまう時があります。

ついつい愚痴を溢してしまった時は、“でもこういう良いところもあるんだよね…”とか“その人のおかげで自分がそれを嫌だっていう認識ができたんだよね”とかいうフォローを必ず入れるようにしています。
毒を吐いてしまったらすかさず解毒。綺麗さっぱり掃除をすれば、ギリセーフなのではないかと…。

悪口は劣等感の話とも繋がってくるので、悪口は言ったもん負けなのです。結局のところ負け犬の遠吠えにしかならないのです。
大きく成功する人は毒がない人だと思います。自分を守る為の毒を持たない人。良い言葉を吐いて、良い出来事を引き寄せて、周りの人達の毒まで解毒していく。そんな人だと思います。

私も早いところ毒を捨て去りたいものです。

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2020年06月25日

劣等感との付き合い方

前の記事でも劣等感という単語が出てきたのですが、人が生きていく上で、劣等感というものは切っても切り離せないものだと思います。
自分には劣等感なんてない!って言いはる人でも、じゃあコンプレックスはありますか?と聞くと何かしら出てくる人が多いものです。

じゃあ、劣等感はどこから来るのかという話ですが、生まれたばかりの頃に自分の劣等感を認識している人はいないと思うのです。
劣等感というものは比較対象がいなければ存在し得ないもの。誰かと自分を比べた時に初めて自分で認識出来るものです。

じゃあいつ頃から人と比べ出すのかと言うと、だいたい自分の周りの環境がはっきり見え始めた頃…という事になるかと思います。

でも何かと何かを比べた所で、そこに善悪の判断がなされなければ、それが自分より優れているのか劣っているのかなんて本来わからないはずなんです。

じゃあ何を持って善悪の判断をしているかというと、自分の周りにいる人達の反応を見て…という事になるのではないでしょうか。
両親や親戚、友人、パートナー、その他諸々。自分の周りにいる人達の反応、態度を見て、ちょっとずつ自分の中での善悪の基準が固まってきます。
その自分の中で固まった基準の中で、悪だという判定を受けたものを自分が持っていた場合、それは劣等感として刻み込まれます。

つまり、劣等感というものは、持って生まれたものではなく、人から植え付けられたものだということになります。育ってきた環境にかなり影響を受けるということです。

ひとりっ子よりも兄弟姉妹がいる人の方が劣等感を抱いている率が高い気がするのは、きっと小さい頃から比べられる回数が多いからだと思います。

劣等感は切り傷のようなものだと思います。
小さい頃から何度も何度も人から劣等感を与えられてきた人、つまり、何度も何度も人から切られてきた人は、これ以上傷つけられないように本能的に何かしらの対策を取ろうとします。自分を守る為に自分も武器を持つか、鉄の鎧を纏うか…。

武器を持った人は、自分より弱そうな誰かを見つけては、武器を振り回し、自分はお前より強いのだとアピールします。暴力で問題を解決をしようとする人や、お店の店員さんに対して横柄な態度を取ったり、偉そうに踏ん反り返って部下をガミガミ怒鳴り散らしているような人がそれで、そこまでせんでもえぇやん…という事をやってのける人です。

鉄の鎧を纏った人は、受けた傷を(自分は劣っている人間なんだという事を)とにかく必死で隠す事に躍起になります。自信が持てないのでいつもおどおどしています。人との距離を置いたり、自分の意見を言わなくなったり、とにかくいい子ちゃんを演じようとしたり、何かに異常に執着したり不安がったり、変に人の機嫌を取ろうとしたりします。これが前回の記事に書いた自己肯定感の欠如した人とニアリーイコールになるかと…。

この両者は根底に劣等感という共通点を持っているので、類は友を呼ぶということで、何故か引き合わされる事が多いのです。そして、引き合わさった時に需要と供給が一致するので、いじめる側といじめられる側の関係性がまるで運命かのように上手いこと出来上がってしまいます。

どちらにも共通しているのは、“人からエネルギーを奪う”という事と、“人を支配しようとする”です。力でねじ伏せる攻撃型は分かりやすいのですが、守備型はちょっと分かりにくいかもしれませんね。
でも守備型は、必殺「あなたの為を思って」や、「私って可哀想でしょう」を駆使して確実に人からエネルギーを奪い、支配しようとしてきます。

需要と供給が合っていて、本人達がそれで良しとしているならばベストパートナーという事になるのですが、そう思えない人にとってはたまったもんじゃない相手という事になります。

自分が巻き込まれない為には、まず自分の劣等感が誰から与えられたものなのかを知る必要があると思います。
そして、自分に劣等感を与えたその誰かも、同じく劣等感を持っていたという事に気付き、「この人も劣等感を持っている人なんだな…」という認識でその人の事を見れるようになれば、驚くほど現実が変わります。

劣等感はいわば弱点なのです。劣等感を持っている人はその弱点を知られないように、攻撃や防御で頑なに隠そうとします。だから弱点を知られてしまったら、全てを見透かされているような気がして、居心地が悪くなって逃げ出すしかなくなるのです。その事さえ分かっていれば、どれだけややこしい人が目の前に現れても、動じる事なくうまく回避できるようになると思います。

自分が持ってしまっている劣等感とうまく付き合っていく為には、武器も鎧も一旦捨てる覚悟が必要です。そして善悪の判断基準をなくす。これに尽きると思います。
まぁ、言うのは簡単なんですよね。一気にやるのは誰だって怖いです。ちょっとずつ、ちょっとずつやっていって、気付いたらいつのまにか!?くらいがちょうど良いと思います。


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posted by ひのとえり at 14:10| Comment(0) | 精神論的な事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月18日

自己肯定感の低さの原因

このブログでも過去に何度か書いてると思うのですが、昔からとにかく自己肯定感の低さに悩まされてきて、20歳を過ぎたあたりからは特にひどく影響を受けてきた気がします。
諸悪の根源と言っても良いほどに、自己肯定感の低さによって、仕事でも人間関係でも、いろんな事が上手くいかなくてヤキモキしていました。

原因が分かれば対処のしようもあるだろうに、そもそも、それが原因だという事自体に気付くのにかなり時間がかかった気がします。
原因不明の病に侵されているのと同じで、対処のしようもない不定愁訴というのはとにかく苦痛です。

なんとなく原因が分かってきた頃から、必死になってそこから抜け出そうと踠きました。今は“自己肯定感を上げる方法”とかいう本もいっぱい出ているし、ネットでちょっと検索すれば、嘘か本当かは別としてかなり沢山の情報が出てきます。

“自分を認めてあげましょう、愛してあげましょう”…“人の言う事なんて放っておけ”…“頑張らない”…“日々感謝しなさい”…“手放しなさい”

だいたい書いてある事はざっくりそんな所かなと思います。
言うのは簡単なんだよ。そんな事とっくにわかってる…。それが出来ひんから困ってんねん…
何度そぅ思ったことか…。

そうやって、自己肯定感を上げるどころか、逆に自己否定感が増す結果になりかねなかったし、同じような情報に疲れ果てたというのもあると思いますが、とりあえず一旦諦める事にしました。

私は自己肯定感の生まれにくい山羊座の星の下に生まれてきてしまったのだ…。持って生まれた性格なんだからどうしようもない…と。
占いというのは何かを諦めたい時にも案外役に立つものです。


案外これが功を奏したようで、諦めがつくと少し気が楽になりました。意図せず“押してダメなら引いてみろ作戦”を実行していたわけです。

“諦める”というのは一見マイナスのように受け取れますが、言い換えれば“そのままの自分を受け入れる”という事にもなります。

自己肯定感の低い人は向上心を強く持っている人が多い傾向があります。向上心が高いという事は普通に考えると良いことなのですが、これがどこから来た向上心なのかが問題になってきます。

自己肯定感のある人の向上心には苦痛は伴いません。むしろアゲアゲの状態でスーパーマリオでいう所のスター獲得状態なのです。でも自己肯定感の低い人の向上心には苦痛が伴います。いわば見せかけの、偽の向上心と言っても良いのかもしれません。

自己肯定感の低い人は、強い劣等感を抱えています。(自己肯定感が強すぎる人もまた劣等感を抱えている可能性があるのですが…長くなるのでこれはまた後日書きたいです)
これが自己肯定感の低さの原因と言って良いと思います。
この劣等感を埋めるために、人から認めてもらえる人間になろうとして、本来ならば頑張らなくても良いような事まで頑張ろうとします。これが偽の向上心の正体です。本来やりたくない事なので、楽しくもないしオーバーワークで疲弊します。気力体力が奪われるのでコンディションが悪くなります。それに付随して結果が出にくくなり、余計に自分を責めるという蟻地獄のような悪循環にハマります。

偽の向上心からくる、辛く苦しい気持ちが内側に向かえば“これだけ頑張ってもダメなら、もう私はダメなんだ…”という鬱のような状態になり、気持ちが外側に向かえば“私はこんなに頑張ってるのに上手く行ってない…あの人はいつも楽しそうで何も考えてないみたいなのに上手く行ってる…なんなの!?”という嫉妬に繋がってくる。

今、なんだか全てが上手くいかないとか、疲れ切っている…みたいな人は、“頑張らなくては…”という気持ちが、本物の向上心なのか、偽物の向上心なのか見極めてみると良いと思います。

偽物だと気づいたら、一旦諦めてみるという事も視野に入れて良いと思うのです。
これが俗に言う“手放す”という事なのだろうと思います。

「私は自己肯定感が低い。劣等感の塊なのだ。だから何だっていうんだ。その劣等感は元々私が好き好んで身につけたものではないのだ。私のせいじゃない」

とりあえずの入りはこれで良いと思います。

逃げるは恥だが役に立つ…今再放送してますが、本当にその通りで。逃げたって良いのです。
戦いの準備がまだ出来ていないのに、無理して戦おうとするからやられるわけで、戦いの準備が整うまでは逃げておくのが正解だと思います。
無理して戦って自分を殺してしまったり、怪我をして再起不能なんて事になったら元も子もないのです。

諦めて一旦逃げる。準備を整えて、万全の態勢になってから再出発する。これに尽きます。それで良いと思います。

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posted by ひのとえり at 11:57| Comment(0) | 精神論的な事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする