2020年06月25日

劣等感との付き合い方

前の記事でも劣等感という単語が出てきたのですが、人が生きていく上で、劣等感というものは切っても切り離せないものだと思います。
自分には劣等感なんてない!って言いはる人でも、じゃあコンプレックスはありますか?と聞くと何かしら出てくる人が多いものです。

じゃあ、劣等感はどこから来るのかという話ですが、生まれたばかりの頃に自分の劣等感を認識している人はいないと思うのです。
劣等感というものは比較対象がいなければ存在し得ないもの。誰かと自分を比べた時に初めて自分で認識出来るものです。

じゃあいつ頃から人と比べ出すのかと言うと、だいたい自分の周りの環境がはっきり見え始めた頃…という事になるかと思います。

でも何かと何かを比べた所で、そこに善悪の判断がなされなければ、それが自分より優れているのか劣っているのかなんて本来わからないはずなんです。

じゃあ何を持って善悪の判断をしているかというと、自分の周りにいる人達の反応を見て…という事になるのではないでしょうか。
両親や親戚、友人、パートナー、その他諸々。自分の周りにいる人達の反応、態度を見て、ちょっとずつ自分の中での善悪の基準が固まってきます。
その自分の中で固まった基準の中で、悪だという判定を受けたものを自分が持っていた場合、それは劣等感として刻み込まれます。

つまり、劣等感というものは、持って生まれたものではなく、人から植え付けられたものだということになります。育ってきた環境にかなり影響を受けるということです。

ひとりっ子よりも兄弟姉妹がいる人の方が劣等感を抱いている率が高い気がするのは、きっと小さい頃から比べられる回数が多いからだと思います。

劣等感は切り傷のようなものだと思います。
小さい頃から何度も何度も人から劣等感を与えられてきた人、つまり、何度も何度も人から切られてきた人は、これ以上傷つけられないように本能的に何かしらの対策を取ろうとします。自分を守る為に自分も武器を持つか、鉄の鎧を纏うか…。

武器を持った人は、自分より弱そうな誰かを見つけては、武器を振り回し、自分はお前より強いのだとアピールします。暴力で問題を解決をしようとする人や、お店の店員さんに対して横柄な態度を取ったり、偉そうに踏ん反り返って部下をガミガミ怒鳴り散らしているような人がそれで、そこまでせんでもえぇやん…という事をやってのける人です。

鉄の鎧を纏った人は、受けた傷を(自分は劣っている人間なんだという事を)とにかく必死で隠す事に躍起になります。自信が持てないのでいつもおどおどしています。人との距離を置いたり、自分の意見を言わなくなったり、とにかくいい子ちゃんを演じようとしたり、何かに異常に執着したり不安がったり、変に人の機嫌を取ろうとしたりします。これが前回の記事に書いた自己肯定感の欠如した人とニアリーイコールになるかと…。

この両者は根底に劣等感という共通点を持っているので、類は友を呼ぶということで、何故か引き合わされる事が多いのです。そして、引き合わさった時に需要と供給が一致するので、いじめる側といじめられる側の関係性がまるで運命かのように上手いこと出来上がってしまいます。

どちらにも共通しているのは、“人からエネルギーを奪う”という事と、“人を支配しようとする”です。力でねじ伏せる攻撃型は分かりやすいのですが、守備型はちょっと分かりにくいかもしれませんね。
でも守備型は、必殺「あなたの為を思って」や、「私って可哀想でしょう」を駆使して確実に人からエネルギーを奪い、支配しようとしてきます。

需要と供給が合っていて、本人達がそれで良しとしているならばベストパートナーという事になるのですが、そう思えない人にとってはたまったもんじゃない相手という事になります。

自分が巻き込まれない為には、まず自分の劣等感が誰から与えられたものなのかを知る必要があると思います。
そして、自分に劣等感を与えたその誰かも、同じく劣等感を持っていたという事に気付き、「この人も劣等感を持っている人なんだな…」という認識でその人の事を見れるようになれば、驚くほど現実が変わります。

劣等感はいわば弱点なのです。劣等感を持っている人はその弱点を知られないように、攻撃や防御で頑なに隠そうとします。だから弱点を知られてしまったら、全てを見透かされているような気がして、居心地が悪くなって逃げ出すしかなくなるのです。その事さえ分かっていれば、どれだけややこしい人が目の前に現れても、動じる事なくうまく回避できるようになると思います。

自分が持ってしまっている劣等感とうまく付き合っていく為には、武器も鎧も一旦捨てる覚悟が必要です。そして善悪の判断基準をなくす。これに尽きると思います。
まぁ、言うのは簡単なんですよね。一気にやるのは誰だって怖いです。ちょっとずつ、ちょっとずつやっていって、気付いたらいつのまにか!?くらいがちょうど良いと思います。


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2020年06月18日

自己肯定感の低さの原因

このブログでも過去に何度か書いてると思うのですが、昔からとにかく自己肯定感の低さに悩まされてきて、20歳を過ぎたあたりからは特にひどく影響を受けてきた気がします。
諸悪の根源と言っても良いほどに、自己肯定感の低さによって、仕事でも人間関係でも、いろんな事が上手くいかなくてヤキモキしていました。

原因が分かれば対処のしようもあるだろうに、そもそも、それが原因だという事自体に気付くのにかなり時間がかかった気がします。
原因不明の病に侵されているのと同じで、対処のしようもない不定愁訴というのはとにかく苦痛です。

なんとなく原因が分かってきた頃から、必死になってそこから抜け出そうと踠きました。今は“自己肯定感を上げる方法”とかいう本もいっぱい出ているし、ネットでちょっと検索すれば、嘘か本当かは別としてかなり沢山の情報が出てきます。

“自分を認めてあげましょう、愛してあげましょう”…“人の言う事なんて放っておけ”…“頑張らない”…“日々感謝しなさい”…“手放しなさい”

だいたい書いてある事はざっくりそんな所かなと思います。
言うのは簡単なんだよ。そんな事とっくにわかってる…。それが出来ひんから困ってんねん…
何度そぅ思ったことか…。

そうやって、自己肯定感を上げるどころか、逆に自己否定感が増す結果になりかねなかったし、同じような情報に疲れ果てたというのもあると思いますが、とりあえず一旦諦める事にしました。

私は自己肯定感の生まれにくい山羊座の星の下に生まれてきてしまったのだ…。持って生まれた性格なんだからどうしようもない…と。
占いというのは何かを諦めたい時にも案外役に立つものです。


案外これが功を奏したようで、諦めがつくと少し気が楽になりました。意図せず“押してダメなら引いてみろ作戦”を実行していたわけです。

“諦める”というのは一見マイナスのように受け取れますが、言い換えれば“そのままの自分を受け入れる”という事にもなります。

自己肯定感の低い人は向上心を強く持っている人が多い傾向があります。向上心が高いという事は普通に考えると良いことなのですが、これがどこから来た向上心なのかが問題になってきます。

自己肯定感のある人の向上心には苦痛は伴いません。むしろアゲアゲの状態でスーパーマリオでいう所のスター獲得状態なのです。でも自己肯定感の低い人の向上心には苦痛が伴います。いわば見せかけの、偽の向上心と言っても良いのかもしれません。

自己肯定感の低い人は、強い劣等感を抱えています。(自己肯定感が強すぎる人もまた劣等感を抱えている可能性があるのですが…長くなるのでこれはまた後日書きたいです)
これが自己肯定感の低さの原因と言って良いと思います。
この劣等感を埋めるために、人から認めてもらえる人間になろうとして、本来ならば頑張らなくても良いような事まで頑張ろうとします。これが偽の向上心の正体です。本来やりたくない事なので、楽しくもないしオーバーワークで疲弊します。気力体力が奪われるのでコンディションが悪くなります。それに付随して結果が出にくくなり、余計に自分を責めるという蟻地獄のような悪循環にハマります。

偽の向上心からくる、辛く苦しい気持ちが内側に向かえば“これだけ頑張ってもダメなら、もう私はダメなんだ…”という鬱のような状態になり、気持ちが外側に向かえば“私はこんなに頑張ってるのに上手く行ってない…あの人はいつも楽しそうで何も考えてないみたいなのに上手く行ってる…なんなの!?”という嫉妬に繋がってくる。

今、なんだか全てが上手くいかないとか、疲れ切っている…みたいな人は、“頑張らなくては…”という気持ちが、本物の向上心なのか、偽物の向上心なのか見極めてみると良いと思います。

偽物だと気づいたら、一旦諦めてみるという事も視野に入れて良いと思うのです。
これが俗に言う“手放す”という事なのだろうと思います。

「私は自己肯定感が低い。劣等感の塊なのだ。だから何だっていうんだ。その劣等感は元々私が好き好んで身につけたものではないのだ。私のせいじゃない」

とりあえずの入りはこれで良いと思います。

逃げるは恥だが役に立つ…今再放送してますが、本当にその通りで。逃げたって良いのです。
戦いの準備がまだ出来ていないのに、無理して戦おうとするからやられるわけで、戦いの準備が整うまでは逃げておくのが正解だと思います。
無理して戦って自分を殺してしまったり、怪我をして再起不能なんて事になったら元も子もないのです。

諦めて一旦逃げる。準備を整えて、万全の態勢になってから再出発する。これに尽きます。それで良いと思います。

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posted by ひのとえり at 11:57| Comment(0) | 精神論的な事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月04日

努力と苦労

努力と苦労は似て非なるもの。
努力は努める力で、苦労は苦しい労働。

同じしんどい状況でも、“よし、やってやる!”という前向きな感情が出てくるのが努力で、ただただひたすら苦しいだけというのが苦労。

生きていく上で努力は必要だと思うけど、苦労は必要ないと思います。

仕事や人間関係で、どうしようもなくしんどくなってしまうのは、努力と苦労を履き違えているからなのではないかと思います。

日本では特に、成功者の苦労話などが美談のように語られる事が多くて、あたかも成功するには1度苦労や挫折を味わわなくてはいけないみたいな風潮が未だに残っていますが、実際に成功者と言われる人達がやってきたのは苦労ではなく努力なのだと思います。

努力は成功を生み出すけど、苦労は新たな苦労しか生み出さない。
「努力してれば、いつかきっと良い事が起こるんだ!」って信じて頑張っているのに、一向に良い事が起こらない…あまつさえ、どんどん状況が悪化しているように思えるっていう場合、努力ではなく苦労をしてしまっている可能性があります。
それに気づかずに「いや、きっとこれは私の根性が足りないだけなんだ。もっと頑張ってればいつか…」と下手な根性論を持ち出して苦労を続けていると、身体のどこかしらに何かしらの症状が出てきます。そうなったらもぅ、結構な所まで苦労街道をまっしぐらに突き進んできてしまったという事になります。

もう一度言いますが、努力は前向きな気持ちが出てくるものです。この職場が、あの人が、そしてまず第一に自分が、少しでも良くなるようにと努める事です。自分がしんどくなってしまっては意味がないのです。

私は、自分が努力できない、苦労ばかりの仕事や人間関係はすぐにでも手放して良いと思っています。何も生産性がないからです。

環境が変えられなくても、気持ちはすぐにでも切り替える事は可能です。今自分がやっている事は努力ではなく苦労なのかも…と気付くだけでも良いと思うのです。気付いただけでも何かしらの打開策は勝手に頭の中に浮かんでくるはずです。


苦労ではなく努力を。
私も結構今まで苦労街道を突き進んできた感はあるので、しっかりと路線を切り替えられるように努力しようと思っています。

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posted by ひのとえり at 10:53| Comment(0) | 精神論的な事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする