2020年08月06日

過去の精算

とにかく今は過去の精算というか、ものすごい勢いで過去に向き合わされる時期らしく、夢でも現実でも『なんで今さらそれ思い出す?』みたいな過去の片鱗が次々と顔を出してくるのですが、そのたびに本当に気分が悪くなるくらいドス黒い感情が湧いて出てきます。

よくよく考えたらグッと耐えたとか、無理やり忘れようとした出来事が大半なので、きっとその時の感情にちゃんと向き合って浄化させなさいという事なんやと思います。


過去は変えられないというのは半分正解で半分不正解やと思います。

過去に起こった出来事自体を変えることはできないけれど、過去に感じた感情は後からいくらでも修正できる。

どんだけ辛かった出来事でも、後々振り返ってみれば良い思い出になってるっていうのが良い例やと思います。


ドス黒い感情は、ぼんやり眺めているとちょっとずつ分解されていって、シンプルな喜怒哀楽になっていきます。大概は怒と哀。
しかも怒の陰に隠れた哀やったり、哀の陰に隠れた怒やったりして、ちょっと解りにくいもの。

その当時見ないようにしたり、気付いてあげられなかった未消化の感情は、ちょっとずつ溜まっていって、ある時ふと溢れたり、なにかの拍子に爆発したりする。

これはあんまり良い事ではないと思うので、やっぱり感情はその時その瞬間に感じ切ってあげるのが1番良いんやろうなと最近は思います。

過去の未消化の感情も、顔を出してきた時に感じ切ってあげると、なんとなく身体が軽くなって、目の前が少し明るくなるような感覚になります。
過去からの脱却とか解放とか、多分そんな感じ。


結局いつも、自分を赦さないのも、羽交い締めにして苦しめてるのも、他の誰でもない自分自身なんやなと思います。

posted by ひのとえり at 10:44| Comment(0) | ひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月02日

感情の使い道

何か問題が起きた時に一番邪魔になるのが感情やと思います。
問題解決に必要なのは考えるという行為。
感情に呑み込まれると途端に考えがグチャグチャになってまとまらなくなります。


まだ20代の頃、全てが上手くいかなくて、やる事なす事空回りしまくって、毎日毎日泣いていたような時期があったのですが、今思えば“悲劇のヒロイン症候群”(と勝手に自分で名付けたのですが…)やったんやと思います。

悲しみの感情にどっぷり浸かっている状態。
不幸な運命に翻弄される可哀想な自分に酔っている状態。
周囲の人間からの哀れみを搾取している状態。


こういう時は色々考えているようで、実は思考がピタッと止まってしまっているのです。
だって考えて解決してしまったら可哀想な自分ではなくなってしまうから。

誰になんと言われようと“いや、違う!”と跳ね除けるか、もしくは逆に決断を人に委ねようとする。だって自分で考えたら解決してしまうから。


例え大きな問題が起きたとして、その瞬間は感情が揺れ動いたとしても、冷静になって一旦感情を切り離して“どう対処すべきか”を考えたら、どれだけ大きい問題でも何かしらの解決策はすぐに出てくるものです。

この考えに行き着いたのは、本当に切羽詰まった時というのは、感情に浸っている余裕なんてない…という状況に置かれた事があるから。

悲劇のヒロインができる時っていうのは、実はある意味ものすごく恵まれていて、いろんな事に余裕がある時なのかもしれません。


今は何かしらの問題が起きても“なるほど、今回はそうきましたか…”とちょっと楽しめるまでになってきたし、そうなってくると不思議と問題自体もそんなに起こらなくなってきている気がします。

問題や試練は、何かを気付かせるために起こる。
気付けば勝手に去っていく。そういうものだな…と。

だいたいは自分の考え方が凝り固まっているか、物事の一方向しか見えていない時に起こりやすいようです。


たまに問題解決に当たって、自分でもビックリするくらい冷静な自分を見つけると、自分が感情のない冷たい人間になっているような感覚に襲われる時があるのですが、そういう時は泣ける映画を観たり、芸術に触れるようにしています。


感情は良い方向にだけ使えば良い。
とりあえず今はその考えでやっています。比較的最近はうまく人生が廻っている気がするので、大きく間違えているという事はなさそうです。


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posted by ひのとえり at 00:09| Comment(0) | 精神論的な事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする