悔いのない

ririがあの世に行ってしまってから1カ月ちょっと経って、たまにじわじわ襲ってくる寂しさを除けばいつも通りの生活です。
亡くなった直後よりも、今の方が「あぁしてあげれば良かった」とか「もっと一緒にいてあげたかった」とかそういう想いが湧き上がってくるもので、その度に涙が流れてしまうのですが、後悔したところで、ごめんねと涙を流したところで伝えたい相手は目の前にはいないし、どうする事も出来ないので、今後の糧にするしかないと前向きに捉える努力をしています。

生きていく上で、後悔というのは常に付き纏うもので、どれだけ「後悔なく!」と思って生きていたとしても、行動を起こしても起こさなくても、結局何かしら後悔というのは出てくるもの。全く後悔のない人生は歩めないものやと思います。


やりたくない仕事を嫌々毎日こなしていた自分を変えたいと思ってeskapiをopenしました。人の意見を聞きすぎて、もはや誰の店だ?みたいになってたeskapiを変えたくてひのとをopenしました。それぞれ試行錯誤して、どうすれば自分らしく、自分が楽しく後悔なく生きていけるか…というのを常に考えながら変化させていきました。

振り返ってみれば、「あの時こうしてればもっと上手くできた」とか思うのですが、それは経験を積んだ今だからこそ言える事で、その当時の自分はいっぱいいっぱいで、とにかく精一杯やってたのです。

人事を尽くした後の後悔は「まぁでもしょうがないよね」で片付けられます。ある意味、“後悔できる”というのは、自分がその時よりも成長した証なのかもしれませんし、精一杯頑張ってた自分に報いる為にも、成長した事を褒めてあげなくてはいけません。

ただ、よく言われるように、その時に真剣に向き合わなかった事、逃げた事、やらなかった事への後悔はやった事による後悔よりもはるかにネチッこく、後々までしつこく纏わり付いてきます。

今回、ririや祖父との別れを経験して、心から「極力後悔のない人生を」と思うようになりました。
この場合の後悔というのは、行動を起こさなかった事への後悔を指します。

ひのとを畳む決断に至ったのは、自分がこの場所ではこれ以上成長出来ないと思ったのと、多分今動かなければ絶対死ぬ時に後悔すると思ったから。色々とひのとを離れたいと思わざるを得ない状況が押し寄せてきたのは、きっと「動くのには気力も体力もいる。なんとかなるっちゃなるだろうし、このままでも充分なのでは…」と変わらない事を無理矢理正当化させようとしていた自分のケツに火をつける為だったと解釈しています。

冒頭にも書いたように、全く後悔なくというのは不可能に近いと思いますが、せめて“やらなかった事への後悔”が無いように今後の人生しっかりと向き合っていこうと思っています。