ホスピタリティ

お休みを頂いて久しぶりにディズニーランドに行ってきました。
ディズニーランドとかのテーマパークなどでよく見られるホスピタリティ精神というのは、お店をやる上でとても参考になります。
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夢を見せる側っていうのは、夢を見せられる側よりも、もっとしっかり現実を見れてないといけないと思うのです。現実をきちんと把握した上で、その現実をいかに見せないようにするのかっていうのが夢を見せるって事やと思っています。

ディズニーランドとかUSJとかアイドルとかもそうですが、どうしてファンがたくさん付くのかっていうと、あそこに行けば、その人に会えば、必ず自分の気持ちが良くなる、幸せな気分を味わえるって思うからなんですよね。

飲食業や、その他の接客業も同じ事で、お店を続ける為にはいかにお客様にお店のファンになってもらうかっていうのが大切になってくると思います。

ひのとの場合、お店=自分なので、いかにこの人からお菓子を買いたいって思ってもらえるようにするかが重要なのです。焼き菓子屋さんなんて世の中にたくさんありますから…。

『与えよ、さらば与えられん』
キリストが言ってたように、人を喜ばせて、幸せな気分にできれば、巡り巡って自分が喜ぶような出来事がそのうち降り注いでくるはずです。

いかに人を喜ばせられるか…、どうやったら幸せな気分を味わってもらえるか…本当に難しい課題なのです。必死で頑張って空回りする事も多々…。お店の事だけじゃなくて、人として生きていく上でも大切な、でも基本的な事やと思っています。

しっかりと現実を見る、人には現実を見せないようにする、とにかく人を喜ばせる…

今後の大きな課題です。






#ディズニー#ホスピタリティ#ディズニーランド

しゃあない

最近、『しゃあない』って言葉を多用している自分に気がついて。これは自分にとってはとても良い傾向なんじゃないかと思っているのです。

しゃあないって思うのは、目の前に起こっている事象をとりあえず認識して受け止めてるって事やから。
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何のために生まれたのか?とかって、なんとなく難しそうで、なかなか答え辛い疑問やけど、私の中での今の時点での見解は、『何かを学ぶため』って事になってます。

その何かっていうのは、世の中の真理やったり、人として大切な事やったり、色々やと思うのですが、例えば人生そのものが学校やと考えたら、私は今32年生で、32年生で学ぶべき教材、教科書が現実に起こっている事象って事になって、たまに起こる試練的なものが、学校でいう試験って事になって。大きな試練は受験的な立ち位置ですよね。

学校では真剣に学ぶ気があれば、試験で良い結果がとれて、学ぶ気がなければ留年するわけですが、それと同じように、人生でも学ぶ気があればどんどん良い結果が出て、学ぶ気がなければずっと成長できずに一定のレベルで止まる。
試験で良い点数をとれば合格できて、それと同じように試練を乗り越えたら1つ上の自分になれて…

ただそれだけの事なんやと思っています。

だから、目の前に起こる現象は、良い事でも悪い事でも全てそこから何かを学ぶ為に起こっていて、良い結果が欲しいのであればしっかりと問題文を読んで、考えて、対処して、答えを出さないといけない。

答えが解ったなら解答用紙にちゃんと記入するという行動を起こさないといけない。解っていたの行動に移さなかったっていうのは、ただのアホって言われてしまうから。

そういう風に考えてると、なんとなく頑張れるようになるんです。じゃあ学べるだけ学んで、なんやったら飛び級できるくらい頑張ってやろうかって。

神様は、ちょっと頑張らないと難しいかなっていう問題を出してきます。でも頑張れば解ける問題ばっかなんです。
気分的に解きたくない時もあるけど、結局は解かないと昇級できないですから。

何の為に勉強してんのか分からない大学受験より、人生のお勉強の方が断然やり甲斐があるし楽しい。





相談に乗る

最近、友達の相談に乗るという機会を頂いて、色々とアドバイスとか、自分の経験談とかをツラツラと語っていたのですが、語彙力のなさと、良い比喩表現が思い付かない等々、自分の不甲斐なさを逆に痛感して落ち込みました。
私の拙いアドバイスの中で何かしら胸に残るというか、引っかかってくれるものがあったらいいな…とは思ってますが、それ以前に日本語として成り立ってたんやろか、伝わったんやろか…と。
まぁ伝えたいっていう熱意だけは伝わってくれたんじゃなかろうか…。
それと同時に、そういう風な人に対するアドバイスっていうのは、相談してくれる人に対してっていうのもあるけど、結局の所は自分に言い聞かせてるんやろなっていうのも感じました。


世の中の出来事とか、出会う人とかって全てベストなタイミングで自分の目の前に現れて、何かしら気付きであったり、学びであったりをくれて…
どんな辛い事とかからも何かしら学ぶ事は出来るし、その都度対処していって、それでいて何かしらを学び終えたら、その辛い事は勝手に去って行く。

それさえきちんと解っていれば、どんな事でも冷静に受け止められて、冷静に対処できるのかなと思っています。

だから過去の事を引き摺ったり、未来の事を心配したりして、今目の前にある対処すべき物が見えないっていうのはあまり良いとは言えなくて、目の前の事以外に悩んで時間を取られるっていうのはとても時間が勿体無い気がするのです。特に目の前に良い事が転がってるのにそれに目がいかないっていうのは物凄くもったいない…。

私はこれを最近ようやっと体得したような感じで、近頃はとんと思い悩むって事がなくなったのですが、(そら日々悩む事もいっぱいありますが、感情の起伏は30分以内に留めるって事を決めたので感情が落ちて負のループにハマる…みたいな事がなくなったって事です)泥沼状態になってた時期っていうのは過去に経験したし、そらもぅ、死にたくなるくらいしんどかったので、何とかその時の経験から悩んでいる友人に何かしらアドバイス出来たらなぁ…と思って、当時私が誰かにして貰いたかった事、かけて欲しかった言葉などを思い出そうとしたのですが、これが見事に全然思い出せなくて…。

喉元過ぎれば熱さ忘れるとは正にこの事で、泥沼状態の悩みでも、数年後には忘れてしまうくらい勝手に何とかなってるもんで…。

人によって悩んでる時に欲しい言葉とか態度は違ってくるし、やっぱり人の痛みっていうのはその人にしか解らないし、結局、最後の最後は自分の力で抜け出すしかないので、あの時自分がこぅやったから…っていう感覚で決めつけるのはよろしくないし、つまるところ相談に乗るっていうのは、
〝その人の悩んでる原因が何なのかを客観視して明確にすることと、複雑ならばそれを単純化させるお手伝いをする〟
〝私の場合はこうする、とか、こうだった…とか例を挙げる事でヒントを与えて、何かしら自分なりの解決策を見出してもらう手がかりにしてもらう〟

この2つに限るなって思いました。
その人の感情とか想いとかがどの程度の物かをこちら側が勝手に決めつけてもいけないし、こちら側の感覚を押し付けてもいけない。

これは相談される時とかそうでない時関わらず、人と接する上で常に気をつけとかなあかんなって思いました。良い勉強になりました。
そしてもっと語彙力をつけていこうと心に誓った今日この頃でした。