女子力

女子力がない…というのが通年の悩みというか、そこまで悩んですらないくらいに関心がなかったのですが、周囲のいわゆる女子力が高めな人達を見ていると、やっぱりなんか良いなぁ可愛いなぁ…って思ってしまうんです。

でも、女子力を上げるって結構難しくないですか?

私やって料理は出来るし、お菓子も焼けるし、化粧もすれば、スカートやって履こうと思えば履けるし、お洒落カフェで友達とおしゃべりとかも出来る。

なのに何か違う…
同じ事をしていても圧倒的に何かが足りない…
何かが根本的に違う気がする…。


で、何が足りないのか…そもそも女性らしさってどんなものやろう…と考えた時に、真っ先に頭に浮かんだのが歌舞伎の女形の人でした。

歌舞伎の女形の方達やオネエの方達が、女性よりも女性らしく見えるのは、男性目線から見た女性の、少し誇張された仕草、格好を表現しているからやと思うのです。

だったら女性らしさというのは、男性目線から考えればもっと単純化されるのではという考え方に行き着きました。

で、やってみたのが​一旦思考を男にしてみて、女を演じてみるという方法。

実際にやってみたら分かると思うのですが、男になったつもりで女装して街を歩こうとすると(いや、女なんやけどね)、ちょっといつもより化粧を念入りにしてみようとする、ムダ毛の手入れもきちんとしようとする(そもそもちゃんとしてなかったんかい)、洋服もより一層女性っぽいものを選ぼうとする、スニーカーでなくてヒールのある靴を履こうとする、座った時に脚が開かないように気をつける、歩く時はちょっと何故かモデルウォークっぽくなる…等々、ちょっとでも女性に見られるように(いや、女性なんやけどね)自分の中の女性性を余す事なく出そうとするようになります。

ちょっと女子っぽい!(いや、女子なんやけどね…)って自分でも思うし、結構楽しいです。

普段めんどくさい化粧とかも、ちょっとワクワクドキドキするようになります。何ですかね、なんというか、ちょっといけないことをしているような感覚というか、バレちゃいけない…(バレるも何もそもそも女なんやけど)みたいな…。

ちっちゃい頃、お母さんの化粧品をちょっと拝借して口紅塗るドキドキ感…みたいな感覚にも近いかもしれません。

女性にみられる事への喜びというか、女性であることを楽しむという感覚、ワクワクドキドキが女子力に通ずるというのが今のところの私の中での結論です。

多分普段から女子力が高く見える人って、そのワクワクドキドキが通常運転な人達なんやと思います。私のように感情が希薄な人間は、普通に生活していてもワクワクドキドキは出てこないので、やはり何かしら別角度からそれを追い求める方法がベストやなと感じました。

男になって女装する、これ結構いけると思うし、単純にすごく楽しいので、もし女子力低いなぁって感じてる方は試してみて頂きたいです。

自信って

自信を持つというのは〝自分を信じる力を身につける〟というのが私の中での解釈なのですが、自信は自分で付けるものではなく、他人に付けてもらうものだと、お店を始めた頃に誰かに言われた事があります。

その時は確かにそうやと思ったのですが、お店をしばらくやっていて、沢山の人から「美味しかった!」「また来たいです!」と褒めてもらえても、当時の私はそれを真に受ける事が出来ず、どうしても自信が持てなかったのです。

自信を持つ上で1番重要な事は、​自分を認める​という工程で、これができてないと自信はそもそも付かないという事を実感しました。

それで、じゃあどうやったら自分を認めてやれるのかと悶々としていた訳なんですが、当時「自分とはなんぞや」とか「自分が生まれた意味」とか、とにかく〝自分が分からない病〟を発症していて、頭を使うのに疲れてしまったんでしょうね。自分の作った物に値段をつけるという行為すら出来なくなってしまったので、とりあえず全くの他業種の、信頼の置ける友人に値付けしてもらう事にしました。「これにいくら出せる?」と。
他人に丸投げしてみようと思ったのです。それが高くても低くてもとりあえず一旦受け止めようと。

そうすると面白い程に自分が値付けた金額よりもかなり高い金額を提示してくるのです。
それだけ、他人からの自分に対する評価と、自分の自分に対する評価との間にギャップがあったという事。それは前々から薄々気付いてはいたものの、自分が頑なに認めなかった部分です。

で、他人が付けた値段で(自分ではそれは流石に高いやろ…と思っていても)思い切って商品を出してみる。そうすると、やはり買ってくれる人はいて、そして不思議とそれはものすごく自分の自信に繋がったのです。

私は全面的にその友人を信頼していて、しばらく商品を出す度に値付けの相談を持ちかけていました。(全くもって迷惑な話やけども…ウジウジ発症している私に根気強く付き合ってくれた友人にはとても感謝しています)
自分の値付けと、その友人の値付けがほぼ一緒になるくらいまで、自分の中の感覚を無理矢理変えて行ったんです。
そのお陰で、今では「安くないと買ってもらえない…」という昔の自分のネガティブな値付けではなくて、「これだけ頂ければ最上級の仕事を提供できる」というポジティブな値付けを自分で出来るようになったと思っています。
この一連の事で去っていったお客様も多分たくさんいると思うのですが、より一層自信を貰える言葉をくれるお客様が増えたというのも事実です。

多少自分でも高いな…と感じる事は正直あります。でも逆にそれが「これだけ頂くのであれば決して手抜きは出来ない」「この値段に見合う物を必ずや作り上げる!」というモチベーションに繋がっています。会社に勤めていた時や、お店を始めた当時に感じていた「こんなに頑張ってるのに…」とか「こんなもんでいっか…」という感覚が、今では皆無に等しいのです。

何だかわかりにくい例えやったかもしれないのですか、自信をつけるって多分こういう事なんだと思っています。

自信は他人に付けてもらうもの=​自分の中にいる自分を認めるのではなくて、他人の中にいる自分を認める事。つまり、他人を認めて信じる事​から始まるんじゃないかと…。

​他人を認める事、信じる事が出来ない人は、自分も決して認める事が出来ない。多分そういう事なんやろなと思います。

自信がない人も自信過剰な人も、どちらも自分の中の自分を勝手に評価して信じ込んでいる人やと思います。

他人の評価を気にする、気にしないというのとはまた別で、​自分が信頼置ける人、大切にしたいと思う人の中にいる自分をただただ信じて認める。それだけで自信っていうのはつくものなんやと思います。

まぁ、つらつら書きましたが、これはあくまで私論ですのでね…。でも私みたいに自分に自信が持てないという人は一度試してみる価値はあると思います。

否定のない世界

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この間の食事会の話なんですが、その時に流れていた空気というか流れというのが、なんとも幸せで、満たされるというのはこういう事か!と思わされるような素敵な会やったのです。

もちろん味覚的に美味しいご飯、美味しいお酒が楽しめたという事もあるのですが、その場にいた人達(店主さん含め)の一体感というか、上手く表現出来ないのですが、とにかく空気感が私の中ではパーフェクトやったのです。

実はこの集まり、変態の集まり(変態というのは私達の中で最上級の褒め言葉)やったのですが、初対面の方もいる上に、皆住んでる、働いている場所がバラバラなので、普段そんなしょっちゅう会えるというわけでもなく、職種はそこそこ似通ってはいるものの、歳も10歳20歳かけ離れているような、側から見たらどういう集まり?みたいな関係性。

それぞれが「話せば長くなるんやけれど…」という風な、間接的な不思議な繋がり方をしていて、会うべくして会っているような、そんな不思議な関係。

そんな楽しい会の余韻に浸りながら、何であんなにも居心地が良かったのかと考察してみたのですが、ざっくりとしたまとめ方をすると、〝そこには否定が一切なかった〟​のです。

お互いがお互いを変態だと思っている、本人もそれを否定せず認め合っている。突拍子のない話をしても、それをおかしいではなく面白いと受け止める。そこからさらに話を広げられる。お互いの苦悩、努力を共有し讃え合える。

​否定のない世界は死ぬほど心地が良い。


変態というのは、ともすれば孤立しやすく、異端児として否定の対象となりやすいと思うのです。

同調や大多数との繋がりをよしとする多数決な今の世の中で、それは仕方のない事というのは理解しているし、変態と言えども馬鹿ではないので、経験から学習して、表立って自分の思考や意見を言わずに心の奥底に隠して、なんとか周りに溶け込もう、もしくは存在を消そうとする術を身につけるのです。いわば否定から身を守る鎧を纏うという感じ。でも結構その鎧って重いんですよね…。出来れば脱いでいたいのです。

人と対した時のその鎧の脱ぎ方って色々あって、頑なに脱がない(脱げない)時もあれば、付き合っていくうちに徐々に脱いでいって軽装備で会えるようになる場合もあるのです。

この日いた人達は、その重い鎧を無理矢理剥ぎ取るのではなく、ごく自然に、しかも瞬時に溶かしてくれるような人達なのです。誰も傷つけない、傷つかない、とてもバランスの取れた状態。本来あるべき姿に戻れる状態。


思い切り自分を出せる、自分を認めてもらえる場所が1番心地が良いというのは、言ってみれば至極当たり前な事なのですが、実際そういう現場に居合わせる事っていうのはなかなか難しいものでもあると思います。

私の場合は、そういう場所、相手がちょっとずつ増えてきて、どんどん生きやすくなってきているのですが、手放したり、閉じる事によって逆に自分の世界は広がる​という事​を実感しています。長くなりそうなので、これはまた別の機会に書きたいと思っているのですが…。

この食事会含め、ここ最近の出来事の中で、合う合わないは別として、とりあえずは自分の目の前に現れた人や物事を否定しない人間でありたいと思うようになりました。

なんかまたツラツラ書いちゃったけど、兎にも角にも、このような場に誘って頂いた事にも、その場に居させてもらえた事にも、出逢えた事にも感謝な素敵な日やったので、記録用に…。