原点は泥だんご

この間、スノーボールクッキーを黙々と丸めてた時にふと〝ん?この感覚……???〟ってなったんですけど、記憶を遡っていったら砂場にいる若かりし頃の私に辿り着きました。

私の幼少期の遊びって、あっちこっち駆けずり回るものではなくて砂場遊びがメインでした。
もともと活発な子でもなかったし、今よりも格段に人見知りは激しかったので、1人黙々と砂場で泥だんご作ってた記憶が残ってるんです。
(もちろんそれなりに友達もいたし、ジャングルジムとか隠れんぼとかゴム跳びとかでみんなで一緒に遊ぶとか、それなりに楽しい幼少期を過ごしてましたよ。ご安心を…)でも誰にも邪魔されずに1人黙々と遊ぶのもすごく楽しくて…。

昔っから凝り性やった私は、砂場でひたすら美味しそうな泥だんごを作るってことに没頭してたんです。
丸め方とか、砂の粒子の大きさとか考えたり、硬さを出すために水を足したり、最後にちょっと磨いてツヤを出すとか…本当に真剣に取り組んでたんですよね。で、自分の理想の泥だんごが出来た時のなんとも言えない高揚感といったら…✨
嬉々として親とか友達とかに自慢しに行ってた…って記憶はあまりないのですが、もしそうやったら反応にさぞや困ったことでしょう…
何個も作っては並べて、満足気に眺めて、そして破壊して…次はもっと綺麗に丸いものを、もっと美味しそうなものを…っていう訳のわからない執念。
誰に求められるでもなく、褒められるでもなく、ただひたすら自分が納得いくものができるまで黙々と…。

今スノーボールクッキーをひたすら研究して黙々と丸めてるのも、何かしらこの泥だんご作りに通ずるものがある気がします。

お菓子とかパンを焼きたがるのも、小さい頃好きやった、カラスのパン屋さんとか、グリグラのカステラとか、こぐまちゃんのパンケーキとか…そういう絵本が原点やと思ってますし。

結局は返ってくる。
大人になっても根本は変わらなくって、結局小さい頃没頭してた事に関連する趣味や仕事を持ったりするんやなって思います。

子供の時ってやっぱり色んな事に対して素直で、素直に楽しいと思える事を素直に楽しんでいた気がします。成長するにつれて、色んなしがらみが出てきて、いつの間にか素直に自分が楽しむって事が出来なくなる。

でも自分が楽しむって本当に大事やと思うし、楽しめる人って1番強いと思うんです。
子供の頃は身近な人達の評価しかもらえないけど、社会に出たらたくさんの人からの評価を受ける事になる。どんなに自己満やと思っていても必ずどこかの誰かの役に立ってたり、認めてくれる人は出てくるから、無理に人の為に…って事だけを考えなくても良いんじゃないかなって最近は思うようになりました。

初心忘るべからず…

どんなに歳をとっても子供の頃の素直な感情は持ち続けないといけないですね。














作りたいもの

食べ物って人にパワーを与えるもので、食べ物によって気分が変わったりするじゃないですか。
美味しい物を食べたら気分が上がったり、逆に不味いもの食べて気分が落ち込んだり…。

私は謂わゆる、身体の奥からパワーがみなぎるような料理とかお菓子とかが作れないんです。
よくあるじゃないですか、なんかイメージガッツリ系?例えば…上手に表現出来ないけれども、男臭いというか、色黒筋肉ムキムキッ💪でもって額にハチマキ腕組みみたいなイメージの…何でか松岡修造が頭の中にポンと出てきたんですが…そんな感じの…ちょっと熱苦し……ゴホン…

「なんだ、元気ねぇなぁ〜。これ食ってみろ!どうだ!?美味いだろ?どんどん食って元気出せよっ!なっ!!」(声:野沢雅子)
とか
「気合いだっ!気合いだっ!気合いだっ!ガハハハ!」

みたいな料理(どんなやねん…)。
太陽と月で言ったらどっちかというと太陽的な…?パワーーーーッ!!!!みたいな、「よっしゃ、明日からも頑張ろっ✊」みたいになる物です。
すいません、伝わりましたかね…?

それがどう頑張っても作れなくって。
いくらスタミナ丼的な物を作ってみても、肉を厚切りにしてみても、ボリューム満点にしてみても、なんか力強さが足りないというか…

多分、性別的なものも若干関係してくるのかもしれないし、前の記事で書いた、作る物には作り手の性格が入り込むってのもあるんでしょうね。
そんな人様に分け与えられる程のパワー持ってないです…。

じゃあ私に作れる物って、私に出来ることって…って考えてたんです。

例えば友達が元気が無くなってる時に、良いアドバイスも出てこなきゃ、「おぃ元気出せよ!なっ!」的な事もしてあげられない。

でも、逆にじっと黙って話したくなるまで待ってる事は出来るし、話したくなったら気が済むまで話も聞いてあげられるし、ただただ寄り添う事はできる。一緒になって涙する事もあるかもしれない。


なんか、そういうお菓子が作りたいなって最近唐突に思ったんです。無理くり上げるんじゃなくて、その時の感情に同調して浄化する…みたいなお菓子。

本当にざっくりした考えなので上手に伝わらないと思うんですが、

「うんうん、わかるよ…」って言ってくれるようなお菓子。なぜか涙ポロリしてしまうようなイメージ。それか胸の奥がポッとあったかくなるようなイメージ。

そもそも元気はつらつな〝ひのえ〟ならまだしも、〝ひのと〟ですし。もともと陰性の性質を持つ訳やから、元気はつらつな物は多分作り得ないんでしょうね。

出来ない事を無理くり追い続けるのではなくて、出来る事を伸ばしていく。削ぎ落とし計画にも通づる所ですが、ちょっとずつこの先歩いていく道幅を狭くしていく、テーマをこさえて専門性を高めていくのが今年下半期取り組むべき事やと思ってます。








隠し味は…

「隠し味は愛情です♡」ってよく言うじゃないですか。私はあれがすごく好きで、実際のところ愛情は本当に隠し味になると思うし、大事なひと手間やと思っています。
料理だけに限らず、誰かの為を思って作った物って必ずその物の中に作った人の〝何か〟が入り込むと思うんです。

今の日本の食品加工の技術って凄いと思うのですが、レトルトの食べ物でも冷凍食品でも美味しいんですよね。
でもレトルトパックのカレーとお母さんが作ったカレーってやっぱりなんか食べた時の感じ方が違うくないですか?たとえ市販のルーを使っていたとしても、箱に書いてある通りの作り方をしてたとしても、なんか美味しいと思うんですよね。

お店のカレーとお母さんが作ったカレーでもそれは当てはまる事で、お店のこだわってるカレーってもちろん美味しいんです。でもお母さんのカレーもやっぱり美味しくて特別じゃないですか。

カレーじゃなくても炒飯でもハンバーグでもオムライスでも、何でも当てはまるんですが、あの食べた時の美味しさの感じ方の違いって、やっぱり作り手の愛情の違いやと思うんです。

自分が作った物より人が作ってくれた料理の方が美味しく感じたり、自分で淹れた珈琲より人が淹れてくれた珈琲の方が美味しかったりするのも多分同じような原理やと思うんです。

同じレシピでも作り手が違えば全く違う物になります。食べ物って作った人の性格やったり、その時の作り手の感情がもろに出るジャンルやと思います。

だからお店をやるにあたって大事な事は、いかに自分をニュートラルな状態に持っていくかやと思っています。highでもlowでもない安定した状態。
愛情以外の余計な感情が入り込まない状態。多分分かる人にはすぐにバレてしまうから…まぁ、気付かない人の方が多いとは思いますけどね…

ガトーバスクが、レシピも材料も何も変えてないのに「なんか前より美味しくなってる気がする」ってよく言われるようになったのは、多分、自分の感情のコントロールが上手くなってきたからやと思います。プラス、集中して作れる環境になった事と、作業に慣れてきて気持ちを込めやすくなったからっていうのもあるのかもわかりません。

それを踏まえて今後自分がどんな物を作っていきたいかっていうのが最近ちょっとずつ自分の中で出てきだして、ちょっとずつ楽しくなっていきそうな予感です。
この事に関しては、多分話し出すと長くなると思うのでまた別記事で書こうかなって思ってます。