2020年08月02日

感情の使い道

何か問題が起きた時に一番邪魔になるのが感情やと思います。
問題解決に必要なのは考えるという行為。
感情に呑み込まれると途端に考えがグチャグチャになってまとまらなくなります。


まだ20代の頃、全てが上手くいかなくて、やる事なす事空回りしまくって、毎日毎日泣いていたような時期があったのですが、今思えば“悲劇のヒロイン症候群”(と勝手に自分で名付けたのですが…)やったんやと思います。

悲しみの感情にどっぷり浸かっている状態。
不幸な運命に翻弄される可哀想な自分に酔っている状態。
周囲の人間からの哀れみを搾取している状態。


こういう時は色々考えているようで、実は思考がピタッと止まってしまっているのです。
だって考えて解決してしまったら可哀想な自分ではなくなってしまうから。

誰になんと言われようと“いや、違う!”と跳ね除けるか、もしくは逆に決断を人に委ねようとする。だって自分で考えたら解決してしまうから。


例え大きな問題が起きたとして、その瞬間は感情が揺れ動いたとしても、冷静になって一旦感情を切り離して“どう対処すべきか”を考えたら、どれだけ大きい問題でも何かしらの解決策はすぐに出てくるものです。

この考えに行き着いたのは、本当に切羽詰まった時というのは、感情に浸っている余裕なんてない…という状況に置かれた事があるから。

悲劇のヒロインができる時っていうのは、実はある意味ものすごく恵まれていて、いろんな事に余裕がある時なのかもしれません。


今は何かしらの問題が起きても“なるほど、今回はそうきましたか…”とちょっと楽しめるまでになってきたし、そうなってくると不思議と問題自体もそんなに起こらなくなってきている気がします。

問題や試練は、何かを気付かせるために起こる。
気付けば勝手に去っていく。そういうものだな…と。

だいたいは自分の考え方が凝り固まっているか、物事の一方向しか見えていない時に起こりやすいようです。


たまに問題解決に当たって、自分でもビックリするくらい冷静な自分を見つけると、自分が感情のない冷たい人間になっているような感覚に襲われる時があるのですが、そういう時は泣ける映画を観たり、芸術に触れるようにしています。


感情は良い方向にだけ使えば良い。
とりあえず今はその考えでやっています。比較的最近はうまく人生が廻っている気がするので、大きく間違えているという事はなさそうです。


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posted by ひのとえり at 00:09| Comment(0) | 精神論的な事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年07月14日

言葉の持つ毒について

毒舌という言葉があるように、“人が使う言葉は、時に蠍が持つ10倍以上の威力の毒になる”というのを何かの記事で読んだ事があるのですが、最近、ネット上の誹謗中傷などで人が死んでしまったりしているのを見ると、やはりそうなんやろうなと思わざるを得ません。

となると人間は誰しもが猛毒、つまり凶器を持っているということになります。この凶器を使うか使わないか、どう付き合っていくのかで人の真価が問われるような気がします。

愚痴や批判、誹謗中傷など、誰しもが自分にかけられて良い気分にはならない言葉というのが毒で、称賛や感謝、許可の言葉など、自分がかけられて気分が良くなる言葉というのは、一種の解毒剤のような立ち位置だと私は認識しています。

悪い言葉を吐くという事は、周りに毒を撒き散らしているのと同じ事。コロナウイルスに陽性になった腹いせに“俺はコロナだ”と店員さんに向かってわざと唾を吐きかけたりする迷惑千万な輩となんら変わりはないのではないかと思います。

“はじめに言葉ありき”
聖書でも有名な文言で、いろんな解釈がありますが、私は“言葉によって自分の世界が形作られる”という意味も含まれているのではないかと思います。

言葉は波動です。波動は同じ波長の物を引き寄せます。良い言葉を吐いていれば良い波動が生まれ、良い出来事が寄ってくる。悪い言葉を吐いていれば悪い波動が生まれ、悪い出来事を引き寄せる。
状況を良くしたければ、まず無理矢理にでも良い言葉を使うようにする事。

これを知ってからは、極力悪い言葉は使わないようにしていますし、そうする事で実際どんどん周りの状況が良くなるという経験もしています。
でも私もまだまだ出来た人間ではないので、たまに愚痴の一つや二つ吐きたくなる時、吐いてしまう時があります。

ついつい愚痴を溢してしまった時は、“でもこういう良いところもあるんだよね…”とか“その人のおかげで自分がそれを嫌だっていう認識ができたんだよね”とかいうフォローを必ず入れるようにしています。
毒を吐いてしまったらすかさず解毒。綺麗さっぱり掃除をすれば、ギリセーフなのではないかと…。

悪口は劣等感の話とも繋がってくるので、悪口は言ったもん負けなのです。結局のところ負け犬の遠吠えにしかならないのです。
大きく成功する人は毒がない人だと思います。自分を守る為の毒を持たない人。良い言葉を吐いて、良い出来事を引き寄せて、周りの人達の毒まで解毒していく。そんな人だと思います。

私も早いところ毒を捨て去りたいものです。

posted by ひのとえり at 15:37| Comment(2) | 精神論的な事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月25日

劣等感との付き合い方

前の記事でも劣等感という単語が出てきたのですが、人が生きていく上で、劣等感というものは切っても切り離せないものだと思います。
自分には劣等感なんてない!って言いはる人でも、じゃあコンプレックスはありますか?と聞くと何かしら出てくる人が多いものです。

じゃあ、劣等感はどこから来るのかという話ですが、生まれたばかりの頃に自分の劣等感を認識している人はいないと思うのです。
劣等感というものは比較対象がいなければ存在し得ないもの。誰かと自分を比べた時に初めて自分で認識出来るものです。

じゃあいつ頃から人と比べ出すのかと言うと、だいたい自分の周りの環境がはっきり見え始めた頃…という事になるかと思います。

でも何かと何かを比べた所で、そこに善悪の判断がなされなければ、それが自分より優れているのか劣っているのかなんて本来わからないはずなんです。

じゃあ何を持って善悪の判断をしているかというと、自分の周りにいる人達の反応を見て…という事になるのではないでしょうか。
両親や親戚、友人、パートナー、その他諸々。自分の周りにいる人達の反応、態度を見て、ちょっとずつ自分の中での善悪の基準が固まってきます。
その自分の中で固まった基準の中で、悪だという判定を受けたものを自分が持っていた場合、それは劣等感として刻み込まれます。

つまり、劣等感というものは、持って生まれたものではなく、人から植え付けられたものだということになります。育ってきた環境にかなり影響を受けるということです。

ひとりっ子よりも兄弟姉妹がいる人の方が劣等感を抱いている率が高い気がするのは、きっと小さい頃から比べられる回数が多いからだと思います。

劣等感は切り傷のようなものだと思います。
小さい頃から何度も何度も人から劣等感を与えられてきた人、つまり、何度も何度も人から切られてきた人は、これ以上傷つけられないように本能的に何かしらの対策を取ろうとします。自分を守る為に自分も武器を持つか、鉄の鎧を纏うか…。

武器を持った人は、自分より弱そうな誰かを見つけては、武器を振り回し、自分はお前より強いのだとアピールします。暴力で問題を解決をしようとする人や、お店の店員さんに対して横柄な態度を取ったり、偉そうに踏ん反り返って部下をガミガミ怒鳴り散らしているような人がそれで、そこまでせんでもえぇやん…という事をやってのける人です。

鉄の鎧を纏った人は、受けた傷を(自分は劣っている人間なんだという事を)とにかく必死で隠す事に躍起になります。自信が持てないのでいつもおどおどしています。人との距離を置いたり、自分の意見を言わなくなったり、とにかくいい子ちゃんを演じようとしたり、何かに異常に執着したり不安がったり、変に人の機嫌を取ろうとしたりします。これが前回の記事に書いた自己肯定感の欠如した人とニアリーイコールになるかと…。

この両者は根底に劣等感という共通点を持っているので、類は友を呼ぶということで、何故か引き合わされる事が多いのです。そして、引き合わさった時に需要と供給が一致するので、いじめる側といじめられる側の関係性がまるで運命かのように上手いこと出来上がってしまいます。

どちらにも共通しているのは、“人からエネルギーを奪う”という事と、“人を支配しようとする”です。力でねじ伏せる攻撃型は分かりやすいのですが、守備型はちょっと分かりにくいかもしれませんね。
でも守備型は、必殺「あなたの為を思って」や、「私って可哀想でしょう」を駆使して確実に人からエネルギーを奪い、支配しようとしてきます。

需要と供給が合っていて、本人達がそれで良しとしているならばベストパートナーという事になるのですが、そう思えない人にとってはたまったもんじゃない相手という事になります。

自分が巻き込まれない為には、まず自分の劣等感が誰から与えられたものなのかを知る必要があると思います。
そして、自分に劣等感を与えたその誰かも、同じく劣等感を持っていたという事に気付き、「この人も劣等感を持っている人なんだな…」という認識でその人の事を見れるようになれば、驚くほど現実が変わります。

劣等感はいわば弱点なのです。劣等感を持っている人はその弱点を知られないように、攻撃や防御で頑なに隠そうとします。だから弱点を知られてしまったら、全てを見透かされているような気がして、居心地が悪くなって逃げ出すしかなくなるのです。その事さえ分かっていれば、どれだけややこしい人が目の前に現れても、動じる事なくうまく回避できるようになると思います。

自分が持ってしまっている劣等感とうまく付き合っていく為には、武器も鎧も一旦捨てる覚悟が必要です。そして善悪の判断基準をなくす。これに尽きると思います。
まぁ、言うのは簡単なんですよね。一気にやるのは誰だって怖いです。ちょっとずつ、ちょっとずつやっていって、気付いたらいつのまにか!?くらいがちょうど良いと思います。


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posted by ひのとえり at 14:10| Comment(0) | 精神論的な事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする