相談に乗る

最近、友達の相談に乗るという機会を頂いて、色々とアドバイスとか、自分の経験談とかをツラツラと語っていたのですが、語彙力のなさと、良い比喩表現が思い付かない等々、自分の不甲斐なさを逆に痛感して落ち込みました。
私の拙いアドバイスの中で何かしら胸に残るというか、引っかかってくれるものがあったらいいな…とは思ってますが、それ以前に日本語として成り立ってたんやろか、伝わったんやろか…と。
まぁ伝えたいっていう熱意だけは伝わってくれたんじゃなかろうか…。
それと同時に、そういう風な人に対するアドバイスっていうのは、相談してくれる人に対してっていうのもあるけど、結局の所は自分に言い聞かせてるんやろなっていうのも感じました。


世の中の出来事とか、出会う人とかって全てベストなタイミングで自分の目の前に現れて、何かしら気付きであったり、学びであったりをくれて…
どんな辛い事とかからも何かしら学ぶ事は出来るし、その都度対処していって、それでいて何かしらを学び終えたら、その辛い事は勝手に去って行く。

それさえきちんと解っていれば、どんな事でも冷静に受け止められて、冷静に対処できるのかなと思っています。

だから過去の事を引き摺ったり、未来の事を心配したりして、今目の前にある対処すべき物が見えないっていうのはあまり良いとは言えなくて、目の前の事以外に悩んで時間を取られるっていうのはとても時間が勿体無い気がするのです。特に目の前に良い事が転がってるのにそれに目がいかないっていうのは物凄くもったいない…。

私はこれを最近ようやっと体得したような感じで、近頃はとんと思い悩むって事がなくなったのですが、(そら日々悩む事もいっぱいありますが、感情の起伏は30分以内に留めるって事を決めたので感情が落ちて負のループにハマる…みたいな事がなくなったって事です)泥沼状態になってた時期っていうのは過去に経験したし、そらもぅ、死にたくなるくらいしんどかったので、何とかその時の経験から悩んでいる友人に何かしらアドバイス出来たらなぁ…と思って、当時私が誰かにして貰いたかった事、かけて欲しかった言葉などを思い出そうとしたのですが、これが見事に全然思い出せなくて…。

喉元過ぎれば熱さ忘れるとは正にこの事で、泥沼状態の悩みでも、数年後には忘れてしまうくらい勝手に何とかなってるもんで…。

人によって悩んでる時に欲しい言葉とか態度は違ってくるし、やっぱり人の痛みっていうのはその人にしか解らないし、結局、最後の最後は自分の力で抜け出すしかないので、あの時自分がこぅやったから…っていう感覚で決めつけるのはよろしくないし、つまるところ相談に乗るっていうのは、
〝その人の悩んでる原因が何なのかを客観視して明確にすることと、複雑ならばそれを単純化させるお手伝いをする〟
〝私の場合はこうする、とか、こうだった…とか例を挙げる事でヒントを与えて、何かしら自分なりの解決策を見出してもらう手がかりにしてもらう〟

この2つに限るなって思いました。
その人の感情とか想いとかがどの程度の物かをこちら側が勝手に決めつけてもいけないし、こちら側の感覚を押し付けてもいけない。

これは相談される時とかそうでない時関わらず、人と接する上で常に気をつけとかなあかんなって思いました。良い勉強になりました。
そしてもっと語彙力をつけていこうと心に誓った今日この頃でした。



タイムラグ

不思議なもので、何か叶えたいと思う事は大きい小さい関わらず、後からよくよく考えると必ず叶っていて、ただ、願ってから叶うまでのタイムラグがあるので気付きにくいってだけなようで。
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最近、ひのとでイベント事をやろうとすると、本当に有難いことにすぐに予約が埋まるという状況になったのですが、これは1年前くらいには想像もつかなかった事で、でも実はその当時切に願っていた事で、当時はイベント立ち上げてもなかなか反応がなかったり席が埋まらなかったりで、そらもう凹んだり悶々としていたので…。『告知出したら数分で満席とか良いよなぁ…』とぼんやり思ったものです。

当時のお店のやり方とか告知の仕方も原因ではあったのでしょうが、それ以上にここ一年でのお店の立ち位置というものが自分の見えていない部分でかなり変わっているように思えて、それはもぅ願ったり叶ったりの事なのですが、前の記事でも書いたように、今までのノリとか感覚ではあかんなと流石に感じています。会社でいうところの平社員が部長レベルになって、ちょっとしっかりしないと…と気が引き締まるみたいな感覚?

で、話が戻るのですが、今現状結構毎日クタクタになるくらい忙しくさせて頂いていて、(クタクタになるのは私の効率が悪いだけなのかもですが…)これっていうのは数ヶ月前に願っていた事で、数ヶ月前は何だか日々暇で暇でしょうがなかったんです。それで『もぅちょっと忙しく働きたいんやけどなぁ…』とぼんやり友達に愚痴ってたんです。

願いが叶うって、多分ダイエットと同じような感じなんやろなって思います。
痩せたいって思って行動に移す。すぐには結果が出ないけど、しばらく頑張って続けて、それが慣れてきだした頃に知らん間に目標達成!みたいな…。

タイムラグって結構厄介で、ダイエットでもそうやけど痩せたいって思った時に痩せたいし、叶ってほしいって思った時にすぐ叶ってほしいのに、今かいっ?!ってタイミングで叶ったりする。

でも結局のところ、願ったらそのうち叶うって事なので、願ったもん勝ちやし、とりあえず願って叶うまで耐えたらいい訳やし。それまでに努力は必要になる訳やけど…。いつかは叶うって解ってたら耐えられるってもんですよね。

どうせなら今のうちにあれやこれや願っとこ♪

過小評価

昔から何故か自分を過小評価しすぎる傾向があって、この自分ごときが出来るんやから皆出来るやろう…みたいな考えが何故か常に頭の中にあります。
それでいて、自分が出来る事を人が出来へんかったりすると、『私でも出来るのに、なんでこれくらい事が出来へんねん…』てイラっとしたりする。
こうやって自分で書いて文面で見たら、ものっすごく嫌な奴やなってすぐ気付けるんやけど、実際生活しているとやっぱりこういう節がどうしても出て来てしまって。その度にいかんいかん…てなるけど、ふとした拍子に自信のない自分がひょっこり出てくる。

でも自分が置かれている環境が以前とは大きく変わっている事、自分自身もいろんな経験を積んで出来る事が増えている事を踏まえて、自分を過小評価する事で他の人を不快にさせる危険性があるという事に改めて気づいたので、今後特に気をつけなあかんなぁと思っています。

例えばインスタとかで『やばぁい太っちゃった〜ダイエットしなきゃ!』って言ってほっそいほっそいくびれとか脚の写真をアップするようなもの……。これはまた別の種族か……

テスト前に『全然勉強してへんねん〜』とか言いながら100点取っちゃうようなもん?こっちの方がまだ近いかな??ちょっと違うかもしれんけど、でも『めっちゃ頑張って勉強してん!』て言って、出し切って100点取った方がやっぱなんかかっこいいよなぁ…って。

出来ない無様な自分を知られたくないっていう所もきっと大いに関係していると思うのですが、(何のプライドやねんて自分でも思うけど…)
〝自分を過小評価する事によって、自分を支持してくれている人達の事も過小評価している事になる。〟
これはeskapiをやってる時にお客様に言われた言葉。その時に一度理解したつもりではいたけれど、やっぱりまだきちんとは理解しきれてなかったようです。

多分支持してくれてる人達からの期待とかを受け止めて、それに応えるだけの度量と覚悟がまだなかった。ただただプレッシャーから逃げてたんやと思います。
でもそれって本当に失礼な事やなって痛感したので、とりあえず覚悟してプレッシャー背負えるだけ背負う事にしました。無理のない程度に…

どうしても〝自分は出来ない〟って思っちゃうけど、その出来てない自分でもちゃんと見てもらえてて、さらに期待してもらえてるって、ものすごく有り難い事やから、だったら誠心誠意、その人達に対して、出来ない自分なりに(どうしても思っちゃうの…許して💦)今の自分が出来る限りの事を返していこうと、改めて気を引き締めた今日この頃でした。