ちゃんとする

年明け頃から感じている〝もっとちゃんとしよう…〟という感覚。
これは、もぅいい歳なんだから…とかそぅいうのんも多少関係するのかもしれないんですが、もっと根本的な所からの改善を意味してる気がします。

〝ちゃんと自分と向き合う〟とか
〝ちゃんと自分を認める、芯をより強固にする〟

といった感じでしょうか。

これまでは自分に自信がないから、他人に認めてもらえるように、他人を見返すように頑張るという事を繰り返してきたのですが、自分が自分を認めていない事によって上っ面だけ強固になっていって、中身がスカスカ…みたいな感じになっている気がしたのです。

陶器の器みたいに、何かの拍子に衝撃が加えられればすぐに割れてしまう。

中身を入れて、重くして動かないようにするか、表面を柔らかい物で包むか…が必要になってくる。

私の良いところ、悪いところ、全てをひっくるめての自分を見つめ直す。星回り的にもそんな年なんやろうなと思います。




頑張り屋さんが欲しい言葉

出来る人、出来てしまう人、頑張れてしまう人が本当に欲しい言葉って、
〝すごいね、流石だね〟でもなく

〝頑張ってるね〟でもなく

〝何も出来なくても、ここに居てもいいよ〟やと思う。

なにかをやって褒められるよりも、ただ生きているだけの何にも持たない自分を、存在を認めてもらえる事が何よりも嬉しいし、大事やと思う。

出来る人、頑張れてしまう人は、自分の居場所を見つけるのが不得意な人が多い気がするから。

最近思う事

このくっだらない店主の独り言を読んでくださってる心優しい天使様が何人いらっしゃるんだろう…と。

お店は非公開やけど、ブログは公開してるし、誰でもたどり着けるホームページに〝ブログ〟って載っけちゃってるもんやから、読んでる人がいて当たり前やと思うのやけれど、たまに〝いつもブログ読んでます!〟とか言われるとドキッとする自分がいます。

いや、別にやましい事は書いていないつもりやし、読んでもらえているのは嬉しい事なんですが、ぇ、マジで?あんなん読んでんの?大丈夫?どぅいう気持ちで??(失礼…)え?大丈夫???(いろんな意味で…)とかあたふたしてしまうのです。

そもそも、そうやって人から自分がどう見られているか気にしてる時点で自分まだまだやな…と思うのですが、この癖はなかなか手強いですね。
別に堂々としてればいいのにね。

でもちょっとずつちょっとずつ生きやすくなってきてるのも事実で。

〝人から何を言われようが、それを良しとするか悪しとするかは自分で選ぶ〟という考え方になってから、考え方の自由度が高まって気持ちに余裕が出てきたからやと思います。

とにかくこの世の中には〝〜しないといけない〟とか〝〜すべき〟とかいう考え方がはびこり過ぎていて、それによって右往左往しているうちに疲労困憊する…という流れですよね。

法律で決められてる訳じゃないんやから、別に自分が良しと思えば何したってOKなはずなんですよ。他の人から非常識って思われるようなことをやってる人達が成功してる事の方が多いのですよ。

食べ物はよく噛むべき、朝昼晩三食しっかり食べるべき、お年寄りには席を譲るべき、歯は磨くべき、トイレ掃除はすべき、まじめに働くべき、先生や親の言う事はよく聞くべき…

多分守らなくても良い。

自分がそれをやる事によって気分が良くなるならやったら良いし、気分が悪くなるなら辞めたらいい。全部自分で選択していく。

前にも書いたと思うけど、人の価値観の中で生きていくと本当にしんどいだけで、だから自分の価値観を確立する。確立したら、人から何を言われようがその中で生きていけばいい。でもちょっと曲げたくなったらその時曲げたらいい。

そうしていると勝手に似た価値観を持つ人達が集まって、違った価値観の人達は目の前から消えていく。それで良いと思う。

この広い世界の中で、たった1人孤立するという事はほぼほぼあり得ないと思うし。

自分の中での〜すべきは守りつつ、人から押し付けられた〜すべきは、その都度自分の中に取り入れるかどうか選択する。

自分がやってて腑に落ちない〜すべきを排除していく。

そしたら自分がどんな人間なのかハッキリしてくるし、きっともっともっと自分らしくなっていくんやと思います。